会津若松・花春町〜一箕町
画像の撮影日:2007年9月12日

前回お送りした、「会津若松・山鹿町〜花春町」。県道64号線・小田橋通りとの交差点で前回のレポは終了しましたが、道はまだ続いています。今回は、小田橋通りとの交差点より先の、会津若松市東部の山沿いの地域をご紹介します。

前回のラストであった、小田橋通りとの交差点。ここを直進し、東山温泉方面に向かいます。
前回の部分は、官公庁・観光地の並ぶ地域でしたが、今回は、住宅や事務所が建ち並ぶ地域です。
このあたりは、特筆すべきものはあまり無い、というのが正直なところ…。
正面には、山が迫ってきます。
毎度おなじみ、会津乗合自動車バス。利用者が乗降中です。
静かな住宅街の道なのですが、東山温泉など観光地へのアクセス道路として、他県ナンバーの車も目に付きます。
会津若松市といえば、「ソースカツ丼」の街としても知られています。「ソースカツ丼の会」なるものも結成され、喜多方の喜多方ラーメンに対抗して、町興しをしようとしています。

ここにも、ソースカツ丼の会のノボリを揚げたとんかつ店「とん亭」があります。また、書きませんでしたが、前回紹介した鶴ヶ城近くの「最上屋」も、ソースカツ丼の店です。
その「とん亭」の先には、「嵐の湯あさひや」があります。会津では珍しい岩盤浴の店です。
その先で、道はカーブしています。

昔、この場所に「パチンコ大学」なるパチンコ店がありました。「何で「大学」なんだ?」という疑問を持ったのは私だけではないと思います。他県にもこういう名称のパチンコ店はあったらしいですが…。
カーブの先で、県道325号線と交差します。この交差点付近も、観光地であるためか、道路が広くきれいに整備されています。
県道325号線と交差する奴郎ヶ前交差点。ここを左折すると、御薬園・千石通り・市街地へ行くことができます。右折すると、会津武家屋敷・東山温泉・背炙山へ行くことができます。また、会津藩主松平家墓所もあります。
また、会津武家屋敷からは、新撰組・近藤勇の墓がある天寧寺へ行くことができます。この周辺は、新撰組や幕末あたりの歴史が好きな人にはたまらないであろう史跡が多いです。

ここまでくると、山がもう目の前ですね。交差点の先は、すぐに急カーブになっているので走行注意。
交差点先の急カーブの向こう側。まっすぐな道が続いているように見えますが、この先、飯盛山に向けて山際の道を進んでいきます。

この、東山温泉と飯盛山を結ぶ道路は、「いにしえ夢街道」と名づけられているそうです。
このあたりは、もう住宅街ですね。所々に畑も見えています。
写真左側を見ると、建物が一段下に建っています。山なんだなぁと思わせます。
写真左の店は、「会津慶山焼」の店です。会津慶山焼は、1592年(文禄元年)に藩主・蒲生氏郷が黒川城(鶴ヶ城)の瓦葺をする時、唐津から陶工を呼び寄せ焼かせたのが始まりといわれるそうです。大戦中に廃れましたが、1974年にこの窯元が復興させました。現在でも焼いているのはこの1軒だけだそうです。

ここでは、焼物を買うだけでなく、絵付けや手びねり体験もできるそうです。
よくよく見ると、路面がきれい。どうやら近年、補修されたらしいですね。
写真左の建物は、「桐屋夢見亭」という蕎麦屋さんです。会津といえば、ラーメン・ソースカツ丼と今まで書きましたが、蕎麦もあります。

桐屋夢見亭の隣は、桐だんすの「会津松本」があります。ここでは、桐だんす以外にも、桐製品の販売をしているそうです。
山沿いの道路なので、アップダウンも多い。
古くからの家みたいな民家も見られます。
いったん上ったと思ったら、また下ります。

観光バスが来ました。東山温泉に向かうんでしょう。
昔、テレビで屋上のネオンが浮かび上がる映像を使ったCMを流していたラブホはここにあります。こんな場所にラブホ、う〜ん……。
ちょうどいい下り坂で、道路が遠くまで見渡せますね。
その先の交差点を曲がると、慶山通りを通って市街地へ行くことができます。
この周辺の地域は、ニュータウンとして整備されているので、民家が多いです。
その先、写真右にはこれまた蕎麦屋さん「そば処 和田」があります。その向かい側(写真左)は、「手作り体験ひろば 番匠」という民芸品の店で、赤べこ作り体験ができます。

このあたりからは、観光客向け施設が多くなります。
写真には写ってませんが、右側にはすぐそこに飯盛山が見られます。
写真左の店は、会津駄菓子の「長門屋」です。店舗には、会津駄菓子資料館も併設されています。
このあたりからは、完全に観光地です。
飯盛山というのは、鶴ヶ城が落城したと思った白虎隊隊士が自害した場所で、白虎隊士の墓地です。さざえ堂という大変珍しい形をしたお堂もあります。
この交差点を曲がると、白虎通りで会津若松駅へ行くことができます。
写真右には、飯盛山への参道が見えます。

この飯盛山で、観光産業が栄えていることに関しては、賛否が当然あると思います。私は否定もしませんし、賛同もしませんが。
その先、火の見櫓のある交差点を左折してしばらく行くと、白虎通りに合流します。右折すると、会津若松市河東町の強清水に行くことができます。

強清水は、旧二本松街道の休み処で、今も峠の茶屋街の風情を残しています。するめや饅頭の天ぷらとともに蕎麦をいただけます。湧き水は「ふくしまの水30選」のひとつです。
写真右は、福島テレビハウジングプラザあいづ。

この近くには、旧滝沢本陣があります。戊辰戦争時の弾痕なども残る建物です。
この先は、もう観光地も無く、住宅ばかり。山も通り抜けて、下り坂です。
不動川を渡ります。
小さな商店が並びます。
だんだん逆光で、画像が見辛くなってきましたね…。
こんなところにもツルハドラッグ。最近、会津でもかなり増えてきています。こんなに必要か? ドラッグストア。
その先の交差点を曲がると、居合団地・松長団地と、住宅街になります。
写真正面の山は、大塚山です。古墳です。会津には昔から有力者が居た、ということなんでしょうね…。
なんだか、さっきまでの住宅街の風景とは一変して、山奥の風景みたいですね。
まもなく、県道64号線千石通りと交差します。
ホンダカーズのある交差点で、県道64号線千石通りと交差します。左折すると会津若松市南方面で、今回のスタート地点の交差点へも行けます。右折すると、国道49号線に行くことができます。
以前は、この交差点でこの道路は終わりだったのですが、近年駅周辺地域の区画整理の影響で道路が延伸され、このまままっすぐ駅近くまで行くことができるようになりました。

交差点を過ぎると、不動川を渡り、一箕町の住宅街に入っていきます。この先は、まっすぐ住宅街を抜け、会津若松駅北のスーパーオートバックス前の交差点に行くことができます。

今回はここまで。最後のほうは逆光で画像が見難かったですね…。