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さようなら塩川町


2004年4月25日撮影・国道121号線のカントリーサイン
2006年1月4日、福島県耶麻郡塩川町は約50年にわたる町の歴史に幕を下ろし、喜多方市・耶麻郡熱塩加納村・山都町・高郷村と対等合併し、新・喜多方市になります。今後も塩川町は「喜多方市塩川町」として名前は残ることになっています。

〜ここでは、2004年から2005年にかけて撮影した、喜多方市になる前の塩川町の姿をお送りします〜

〜塩川の中心市街地〜 画像の撮影日:2005年3月28日

旧国道121号線の日橋川にかかる1971年完成の「南大橋」。今はセンターラインなどは消え失せ、歩道もぼろぼろで雑草も生えているような交通量の少ない橋ですが、1985年にバイパスが開通するまでは、南から塩川町への玄関口で交通量の多い橋でした。

右側に見える建物は、「川番所」といい、塩川町のお土産を売っている施設と、「阿賀らん処」という川について知ることのできる施設、そして1998年の水害で付近の住宅街が冠水したことをきっかけに設置された「身神川排水機場」があります。この建物の上に突き出た部分は、展望台です。
「身神川」は現在はふたがかけられマンホールの中の川です。
橋の終わりにはいきなり交差点があり、左へ曲がると御殿場公園や県立会津高等技術専門校があり、会津坂下町へつながっています。
右に曲がると、住宅街です。このあたりが1998年の大雨による水害で被害を受けました。

ここの交差点から、日橋川の土手に入ることができます。写真左側の土手は、駐車スペースがあり、よく営業マンが休憩していたり、付近の住民が車を止めています。そこには、桜並木があり、春にはきれいな桜が咲きます。
スガデンという写真左側の電気屋さんからは「中町通り」です。道路の放送がガタガタしていますが、決して道路の破損をほっといているのではなく、わざとこのような舗装にしてあります。

歩道も、黄色いカラー舗装で水溜りをできにくくしているそうですが、実際は水溜りもすごいし、コケが生えてきて、やばい状況です。しかも点字ブロックは、地元の人が車を駐車場などに入れる際に踏まれて、粉々に割れてしまっているところも。

写真右側にあるのは街灯です。「塩川町」っていう看板がついています。また、下部には石製の道路の通称表示がついています。これのおかげで、今まで通称のなかった道路にも無理矢理通称がつけられました。
皆買物は若松や喜多方などへ行くからか、町の中心地ですが、あまりにぎわっていません。でも決してシャッター通りなのではなく、どの店も営業しています。と、言うか中心市街地の商店街なのに、店より住宅のほうが多いからなんですが。

写真を撮った日が悪かった。曇りの日だからよけい寂れてるように見える…。

塩川町は「屋号とのれんの町」を名乗っているので、店頭にのれんのかけられた店が多いです。

この写真には写っていないのですが、「文化堂」という本屋さんがあるのですが、ここは塩川で唯一教科書が買える場所です。湯川村出身の中学校の英語教師もここにかつてプラモデルを買いに来たそうです。それくらいにぎわっていた通りも今は…。
写真にはうまい具合に写らなかったのですが、写真右側には、バキュームカーを出している「塩川清掃舎」があります。
塩川町では中心地でもまだ下水道が普及していない(今まさに下水道整備中)なので、バキュームカーが街のあちこちで汲み取り作業をしています。

まさか、商店街にバキュームカーがたまってて臭いから人が来ないなんてことはありませんよね?(と、いうかバキュームカーって最近のはくさくないんですよ。作業中でなければ)

奥のほうには東邦銀行塩川支店。町にある数少ない金融機関。銀行にも、のれんのまちなので和同開珎の描かれたのれんがかかっています。
この交差点からは、舗装が普通のアスファルト舗装になっています。

この交差点の信号機は塩川町の設置第3号の信号です。1968年に設置されました。もちろん今は新しいものになっています。が、歩行者用信号機だけなぜかぼろぼろ。これだけ古いままなのかな?

この交差点は、かつては塩川町の中心といえる場所でした。セブンイレブンや福島協和信用組合(現:会津商工信用組合)などがありました。しかしいずれも国道沿いに移転。やはり、バイパスができた打撃は大きかったのでしょう。

ここにあったセブンイレブン、さすが街中のコンビニ。駐車スペースが3台分しかないです。
この通りは「新町(あらまち)通り」です。私の母が子供の頃、ここが塩川で一番のにぎわった通りでした。国道でしたからね。

本屋・おもちゃ屋・お菓子屋・洋品店・魚屋・雑貨屋・味噌屋・美容院・お茶屋・電器屋・総菜屋・パチンコ屋・肉屋・旅行代理店・クリーニング店・ガラス屋…。
ここにくればいろいろなものが買えました。私の母もこの付近にあった本屋で「ベルばら」買ったそうです。

しかし、それは過去の話。今、営業している店は数えるほど。新町はシャッター通りになりつつあります。
これと全く同じ構図で撮影した昭和50年代の塩川町の写真を見たことがありますが、やはり明らかに賑わいが違いました。

写真左側のシャッターの下りた建物も、3年ほど前まで洋品店が営業していましたが、閉ってしまいました。その当時は大きな資生堂のロゴが入った日除けテントが印象的だったのですが。

また、写真右側奥の緑色の建物は、昔は塩川でも有名な電気店でした。最近まで青い壁で「サンヨー薔薇チェーン」という看板をつけて、レトロなもの好きの方にはたまらない外装をしていましたが、看板はすべて撤去してしました。
私の祖父も、この電気店でテレビを会津で放送を開始したばかりの頃に、買ったそうです。

写真中央の交差点のところには酒屋さんがあるのですが、そこの壁には昔は「清酒 月桂冠」という巨大な看板をつけて、これまたレトロファンにはたまらない光景でしたが、撤去されてしまいました。
その向かいには、昔は塩川では珍しく珈琲店(喫茶?)があったそうです。そこは後に、パチンコ屋・旅行代理店と姿を変え旅行代理店は国道沿いに移転し、現在その場所はミニ公園に。下校中の小学生が遊んでいました(それは私です)。今は凶悪な事件が続出しているので、私達の頃みたいにそこらで遊びながら帰る小学生はあまりいないと思いますが、それも町の風景とともにさびしい。
その隣には、大昔は「ライオンドー」(今のリオンドール)もありました。これについてはまた後述。
上の写真の交差点を左に曲がり、「新丁通り」に入ります。この通りは、下水道工事の影響できちんとしたアスファルト舗装されているのですが、一部区間はそれ以前のコンクリート舗装のままの道路もあります。車で走ると、「ゴロゴロ」という感触が。

写真左側だけ、歩道の舗装が違うのですが、実はこれ、カラスがこの場所のゴミ置き場に捨てられる食堂から出た生ゴミをあさったせいで歩道が壊れたためです。カラスの力を侮ってはいけない!

この通りはお洒落で、昔は錆びだらけのガードレールだったのを、下水道工事と並行して進められた歩道・街路灯整備でガードレールから石の棒(写真参照)にしたのですが、これを路上停車などをする自動車がぶつけてことごとく破壊したため、それをコンクリで補修したり、ポストフレックスに変えたりしたため、かっこ悪くなってしまいました。
私、小学校時代、友人と帰るときこの石の上に座ったりしてました。また、ポストフレックスを曲げて遊んだり…。
この新丁通りは、商店よりはどちらかというと、住宅のほうが多いです。

この通りには結構私も思い出があります。写真左に写っているおじさん、私が昔自転車買った自転車店のおじさんです。
その自転車店の隣には、「百貨店」という名をつけた贈答品の店があります。かなり昭和の匂いが。

この通りは、歩道の縁石のところに夜間車が歩道に乗り入れないよう、光る装置を着けているのですが、私達が小学生の頃は、これのソーラーパネル(?)の部分を足で踏んで隠して、わざと光らせて遊んでました。

写真中央の案内標識のところを入ると、塩川町役場(現:塩川総合支所)です。
ちなみに、役場入り口のところには、なぜか10円募金箱(これも石製で、入れる部分が10円の形をしている)があります。ここの募金箱の取り出し口のねじが両方ともなくなっているのですが、実は……これ以上言うのはよします。

この写真のあたりでは、毎年1月に開かれる塩川初市で「舟引き」が行われます。(先ほどの川番所のところに舟があります)大きな舟を東西から引き合いその年の運を占います。さすが川を使った舟運で栄えた町。ちなみに誰でも参加できますので、塩川でぜひ…。


〜塩川の川とその周辺〜 画像の撮影日:2004年9月19日

日橋川の土手の上です。向こうにかかる橋は、国道121号線「東大橋」です。主要国道なので、交通量が多いです。

小学校時代、ここが秋に開かれるマラソン大会のコースでした。ちょうど右側から上ってきて、ここを走り、東大橋を渡り、南大橋で戻ってここでゴールでした。花火大会のために作った観覧席(階段)が多くあるので、便利でした。
土手の下は「河川敷公園」になっています。河川敷の公園に池があるのも妙ですが…。町の木である柳が植えられています。中央に見える橋が「南大橋」です。橋のこちら側には、町の花である花菖蒲や川を泳ぐ錦鯉の絵が描かれています。

この池、完成当初は橋の絵に描かれているように錦鯉など生物がいたのですが、今は殆どいません。

※この写真は2004年4月25日撮影
日橋川。写真中央にある中州っぽくなっているところは、イカダ乗り場です。夏の「イカダ下り」の時に使われます。仮装したイカダなどあって、楽しいですよ。
土手のところに白く見えるのが、このイカダ下りや花火大会のために作った観覧席です。土手の向こうは住宅街になっています。

ちなみに、この写真を撮影した時期は、川にこいのぼりが上げられます。写真に写っていますがお分かりになれますでしょうか。昔、KFBの「あいうえお天気目玉焼きLサイズ」で池田速人アナが「福島お宝珍道中」のコーナーで塩川町に来た時こいのぼりの支柱の下で「屋根よ〜り高〜いこいの〜ぼ〜り〜」って歌っていました。

※この写真は2004年5月22日撮影
河川敷公園全景。川の向こう側は湯川村です。写真左の住宅が建っているあたりで、以前は花火大会の花火を打ち上げていました。住宅街になったため、別な場所に移動しましたが。

河川敷公園。遊具は少々ありますが、雑草がすごい。でも国道を通ると、たまに幼稚園児くらいの子が遊んでいます。

※この写真は2004年4月29日撮影
東大橋側の土手の下の住宅の風景です。

最近宅地整備されてきた場所なので、新しい家が多いです。アパートもこのあたりに密集しています。
左側のビルは、料理店のビルです。入り口のところに竹を植え込んだり、水壷を置いたりして、住宅街の中で「和」の雰囲気を出そうとしています。

※この写真は2004年4月29日撮影
小学生の頃、これと全く同じ構図で絵を書いたことがあります。あの頃は秋だったので、空の色や木の葉の色がぜんぜんこれとは違いますが。

このアパート、私が幼稚園の頃に初めてここを通ってから、なぜか心惹かれます。昔若松や大和に住んでた時にこんなアパートに住んでいたからかもしれません。

※この写真は2004年5月22日撮影
上のアパートを過ぎた辺りから、土手に沿って通る道路に街路樹も。住宅街の小さな道でも、なんだか和む風景です。

でも、土手に生えてる「ギシギシ」って私、苦手なんですよ…。あの赤くてブツブツゾワゾワ生えている実が。身震いが…。
東大橋の東側の住宅の風景です。

この写真の撮影当時は住宅の建設中でしたが、今はこの空き地(田んぼ)にも、建物がびっちり建ってしまっています。

写真右に見える「遠藤設計」という会社の建物。昔は若松に行く時この東大橋を通ると、必ずこの建物を見てしまっていました。今はもう建物の影で橋からはよく見えなくなってしまいました。
上の撮影地点から北側を撮影しました。町の木である柳の木が1本だけ植えられています。

道路のアスファルトの色が違うのは、ここのところを最近下水道整備したためです。こんな町の中心地でも下水道が今まで設置されてきませんでした。

尚、写真右側の看板のところにも、今は化粧品店が建っています。


〜東栄町通り・駅前〜 画像の撮影日:2005年8月9日

県道7号猪苗代・塩川線で猪苗代方面から塩川町内に入ります。国道121号線との交差点が県道7号線の起点です。

写真より先は、県道127号会津坂下・塩川線で、ここが終点です。

写真左側に自転車が壁に書かれた自転車店がありますが、趣味でやっている店なので、閉店してしまっています。
この通称「東栄町通り」は、塩川小学校前の通りであり、通学する小学生の姿が多くみられます。

通学路であるためか、ここの歩道にはロードヒーターが入っていて、冬は凍結しません。
でも私達が小学校を卒業すると同時にできたので、ちょっと悔しい。
そして、ここの通りには、昔は町の木に指定されている「柳」が街路樹として植えられていましたが、最近すべてきられてしまいました。やはり、柳を街路樹にするのは、交通の障害にもなり、かなり無理があったのでしょう。この写真を撮影した数ヵ月後に、どこにでもある普通の街路樹が新たに植えられました。

ここのガソリンスタンド、私達の学年が小学校に入学した時は「三菱石油」でした。時の流れを感じます。
写真右側の木々があふれているところが、喜多方市立塩川小学校です。この写真を録った頃は「塩川町立」でしたけど。何だかさびしい。

この写真に写っているように、塩川小学校の校門の位置には、かなり巨大な柳の木が植えられています。おそらく、ここに小学校ができる前、公民館があった50年ほど前からあるのではないでしょうか。私の母もここの卒業生ですが、その頃からあったといいます。塩川小学校のシンボル的存在です。その隣には、柳とほぼ同じ大きさの松の木が2本植えられています。片方が微妙に背が低く、まるで背比べしているようです。

この塩川小学校の位置には、はるか昔は代官所が置かれ、会津の中心的な役割を果たしていました。その頃に植えられた松(上に書いた松とは別)がグラウンドの真ん中にぽつんと残されています。

塩川小学校の学区は、中心地の住宅街から、2キロ以上はなれた郊外の水田地区までに及ぶため、下校時は最近の子供を狙った事件を警戒した郊外に住む児童の親がここに車の列を作っています。しかし中には、郊外に住みながら、同じ方面に帰る人が1人もいなく親も迎えにこれないため、1人で帰らなければならない子供もいます。こんな実情を、果たして上の人々は分かっているのでしょうか。
写真左の道路を少し行くと交番があるのですが、犯罪の防止に果たして役立っているのでしょうか。この広い塩川の地には、交番はここ1箇所だけです。
郊外の水田地区に住み、親も迎えにこれず1人で帰る子供は、いつ犯罪に巻き込まれるやもしれぬ恐怖におびえながら帰っています。上の人々や、都会に住む人々には絶対にこの気持ちは分からないでしょう。

暗いはなしはともかく、写真左側には「愛喜堂」「おおぜき」と2つの店があり、「愛喜堂」はお菓子、「おおぜき」は食料・贈答品・花などを売っています。昔冬に学校から帰るときなんか、「愛喜堂」では冬にたこ焼き・きんつば・おしるこ・中華まんと看板を出していて、ちょうど前の道路にもにおいが…。夏は夏で「ソフトクリーム」「カキ氷」とのぼりを出していて、真夏の猛暑の学校のプールに来た帰りなんか…。分かりますよね、これ。
中学校は国道沿いなので、こんな体験もうできないですが。
この変則的な形をした交差点で県道127号は左(中町通り)へ進路を変え、会津坂下へ向かいます。まっすぐ進むと、県道209号塩川停車場線・通称「駅前通り」です。

写真中央のミニ公園は、昔はこの場所に「福島協和信用組合塩川支店(現:会津商工信用組合塩川支店)」がありましたが、国道沿いに移転し取り壊されました。時計が設置されていて、登下校の時便利でした。
いかにも、田舎のちょっと人気のある駅前という風景になっています。その証拠に、この通りには、いかにも田舎の駅前っぽくスナックが多いんです。歩道は狭く、人や車の往来が殆どありません。

左側に立つ県道を示す標識が、見事に文字が剥げ落ちて、ここが県道何線何だか分からなくなっています。
ついでに、この道路には中央線がひかれていませんが、中央の消雪パイプを埋め込んだコンクリートを中央線代わりにしてください。
写真右側の塩川ではかなりでかいマンションは、喜多方市内にある小野瀬工業の社員寮みたいな位置づけになっているそうです。

昔は、先ほど出てきた交番は、この辺りにあったのですが、何で駅前からわざわざ住宅街の真ん中に行ったか、移転した当時は不思議でしたが、最近意味が分かってきました。
駅の本当に目前だけは、ちょっとした建物密集地になっています。

写真左側の茶色いビルにある「丸万」という店では、「なまずラーメン」なるものが食すことができます。私はまだ食べてませんが。日橋川というと、町民は「なまず」を連想するように、日橋川ではなまずがとれます。

右側の新聞店、昭和的。我が家もここから朝日新聞と福島民友を取っています。ここのおじさん元気がいいんです。
これが塩川駅で、ここで県道も終わりです(本当はここが起点ですが)。

この駅舎は、実際は塩川町の施設で本当の駅は、ホームのところだけのようです。でも塩川駅は主要駅。磐越西線の鉄道はほぼここに止まります。あのSLもここに停車しますので、鉄道マニアの方も良く訪れます。駅裏には「セメントターミナル」があり、セメントを入れた貨車がディーゼル車に引かれる姿も良くみます。

駅の前には客待ちのタクシーが止まっていて、運転手が昼寝中です。
また、ちょっとした池みたいなものがあり、金魚が泳いでいます。
昔KFBの「あいうえお天気目玉焼きLサイズ」の「ロマンティックレールトレイン」で羽藤淳子さんがここを訪れ、金魚を眺めていた映像が今でも忘れられません。

※この写真のみ2005年4月2日撮影。
この写真にあるように、ここは「塩川ふれあい会館」といい、小学生や幼稚園・保育所の子供達が書いた絵画や書道の展示を時たま行っていて、そこには移動図書館もあります。

その片隅に切符売り場があり、それがここは駅であると物語ります。この建物、内部が独特のにおいがするんですが、何だろう…。
先ほど、駅前通りは人通りがないと書きました。じゃあ、駅の利用客はどこからくるんだというと、上の写真の道路を右に曲がった駅の北側の道路からきます。駅の利用客は、殆ど住宅街の人なので、みんな上に書いた新丁通りからこの通りに進入し、駅に来ます。

こちら側にはミニ公園や駐輪場があります。駐車場は、南側です。ここの駐輪場、マナーがなっていない。何年も前から放置された自転車ばかり。

写真右の建物は、農協倉庫つまり米倉庫です。昔は鉄道を利用し米を輸送していたので、農業の町塩川の塩川駅周辺には今わ使われていない農協倉庫が多く存在します。しかも駅南にある農業倉庫は、石造りで「庫倉協農常勝」と文字が戦前です。「勝常農協」は湯川村の農協ですが、湯川村の駅は無人駅ばかりで最寄の有人駅が塩川だったから都合が良かったのでしょう。(いまは「勝常農協」は存在しません。)


〜国道121号線〜 画像の撮影日:2005年9月17日

いきなり途中からですが…。国道121号線の姥堂川にかかる別府橋です。この別府橋を渡る直前に塩川中学校があります。たまに国道沿いの歩道を体育や部活で走っている生徒を見ることができます。

この別府橋は最近架け替えられたもので、きれいです。それ以前の別府橋は、歩道と車道が別々にかかる橋で、ガードレールも、ガードレールというよりは鉄板を取り付けていたという感じでした。
その先の交差点で右に曲がると、旧国道121号線で、上に書いた新町通り・中町通りを経て、湯川村工業団地付近で再び現道と合流します。

この交差点のところにあるタクシー会社は、ローカルCMでご紹介した「マルイチグループ」の塩川タクシーです。その前にある公園、よくよく路面を見ると、旧道が現役だった頃のセンターラインの跡を見ることができます。

そしてこの現道が整備されたのが昭和60年ですので、ここにもローマ字表記のない古い案内標識が残っています。支柱は錆びています。また、この現道ができた当初から、ここには柳が街路樹として植えられていましたが、交通の支障となるためか近年すべて切られました。

塩川タクシーの隣には「カラオケバウ」というカラオケ屋があり、ソースカツがうまいと、看板を掲げています。
でも、なぜか反対車線の案内標識はローマ字つきの新しいものなんだよなぁ。何でだろう。

右側にある変な構造物は、「しおかわタワー昴」というもので、会津塩川ライオンズクラブの10周年を記念して立てられました。クリスマスの時期には電飾が施されていました。また、町のイベント開催告知ののぼりが取り付けられることも。

雪国で、冬は雪で停止線が隠れてしまうためか、ご丁寧に「停止線」の標識が立っています。
交差点直ぐのところには、「コメリハート&グリーン」があります。塩川では、ロックタウン塩川に「ダイユーエイト」があるため、このコメリには近所の人ぐらいしか訪れないようです。
コメリの隣には、セブンイレブンがあります。この写真の時点ではこうですが今現在のセブンイレブンの看板は、「セブンアンドアイホールディングス」のものになっています。水曜日の午後、中学生がよくタムロしてるようですが、私の家は反対方向なので関係ありません。

その向かいには、「コープ会津しおかわ」があります。駐車場も広く、塩川の中心地では大きなスーパーです。ここの生協はくるたびに「焼き鳥竜鳳」のプレハブからの焼き鳥のにおいが…。
あと、ここの生協には、珍しくCD自販機が置かれていました。今は撤去されましたが、「綾小路きみまろ」があったのはなぜ。
ここにも、中学生がタムロしていますが、私の家は反対方向なので(以下省略)
右側は生協の駐車場、左側はパチンコ店の駐車場です。ここのパチンコ店は、最近では昔からある郊外のパチンコ店にしかないような、電飾ギラギラの看板を設置していたのですが、撤去されてしまいました。遠くからでも見えたあの大きな看板、維持費が大変だったんでしょう。
ちなみに、私の同級生のある男は、このパチンコ店の看板を「命のともしび」と言っていましたが、撤去した今は「コメリの看板が命のともしび」と言っています。どうでもいいですよね。

写真では切れてしまっていますが、ここには「ジパング」という本屋があります。ここはエロ本の店ですが、特にそんなことは看板には書いていない(かけないですよ普通)ので、私の同級生にも、何も知らずに入ってしまって、店内で気まずい雰囲気になった人が何人もいます。しかも担任教師まで。
まあ、昔は普通のレンタルビデオ店が入居していたので、無理ないか。
ここの交差点のところのジョモも、「マルイチグループ」の「根本石油」で経営しています。元々は塩川の会社でやっていたのですが、譲渡したのでしょうか。

ジョモの隣には、最近福島県内のみならず栃木・茨城・埼玉・宮城・山形にも出店しているパチンコ店「ダイエー」の塩川店があります。会社の初期の頃からあるようで、小規模な店舗です。昔は先ほどのパチンコ店にも負けず劣らず派手な電飾をきらめかせていましたが、リニューアルし、落ち着いた外観になりました。

向かい側のマンション1階には、「会津の天神さま」で当サイトでもたびたび紹介した「太郎庵」があります。
写真右にローソンがあります。昔は会津でローソンといえば、観光客を狙ってか、猪苗代ぐらいにしかなかったのですが、最近はいろんなところにできるようになりました。でもまさか塩川にローソンができるとは思いませんでした。ここにも中学生がよくいますが、私の家は反対方向(以下省略)。

このローソンの場所は、上のほうで書いたライオンドー(現:リオンドール)がありました。最初昭和の頃、まだ表記が「ライオン堂」だった頃は旧国道沿いにありましたが、このバイパスが完成した時、早々とここに移転し、同じ地元商店街にあった衣料品・雑貨の「オオギヤ」もここに入居しました。しかし、ここの駐車場や店舗面積は、その後出店した生協に比べると、はるかに小さいものだったため、ライオンドーは閉店しました。その後、リオンドールになってからは、かなり勢いづいたのが、なんだかなぁ…。
オオギヤはまだ営業中で、他にドラッグストアやシャディサラダ館もあります。オオギヤは、いかにも「昭和の店」という雰囲気を残していて、いいですよ。

そういえば、ちょっと前、私のクラスで担任教師と一部男子生徒で「塩川には○○がある」と男子生徒が言うと、担任が「オレの喜多方には○○がある」と論争になった時、誰かが「塩川にはオオギヤがありますよ」といったら、なぜか担任教師が敗北していました。オオギヤ最強伝説の誕生か。
左側のビルのところには、昔はカフェレストランがあったのですが、閉店しました。立地が悪かったのかな?
というより、塩川は地元食堂以外のこういう飲食店ってうまくやっていけない土地柄みたいで、先ほどの生協にも、昔はファーストフード店がありましたし、今はなきライオンドーにも同じような店がありましたが、どれも閉っています。ロックタウン塩川にもラーメンチェーン店やピザの店が入っていましたが、どれも閉っています。みんな喜多方や若松へ行ってしまうのか、それとも塩川の人間は外食を好まないのか。

左のビルの隣にある「丸市」ではなまず料理を食せます(要予約)。上のほうにも書いたとおり、なまずの町ですから。

ここには「福島協和信用組合」も移転してきています。(今現在は「会津商工信用組合」になっています)
東栄町通りとの交差点。ここを過ぎると、もう塩川町も終わりです。
写真左側のビルには旅行代理店があります。町の中心地から移転してきました。それ以前は中古車店があったはずです。

この区間は、本当に最近まで柳が残っていました。
東大橋へ。なぜか福島空港への案内板があります。須賀川なのに。

写真奥にある案内標識のところで、塩川は終わって、その先は湯川村です。カントリーサインが立っていないので分かりにくいのですが。

※この写真は2004年4月25日撮影
まだ柳が健在だった頃の写真。このあと、すべて切られてしまいます。




旧・塩川町役場(2005年10月14日撮影)
長らくお送りしてきました塩川の風景もここで終わりです。「耶麻郡塩川町」はもう存在しませんが、「喜多方市塩川町」としてさらなる発展をを望みます。