国道49号線・新潟県阿賀町〜福島県西会津町

画像の撮影日:2006年8月5日

阿賀町に入り、旧三川村の区間を走っていると、ずーっと運転をしていて疲れた方には、うれしい施設の案内板が見えてきます。
道の駅「阿賀の里(楽市じぱんぐ)」です。ここには、新潟の海の幸・山の幸を使ったお食事処やお土産店があり、新潟の名産品を取り揃えています。この日も多くの車が立ち寄っていました。新潟のお土産をそろえるには便利なんでしょうね。
新潟の地酒もあるそうですが、ドライバーの方はここでは飲んではいけません。

また、ここには阿賀野川ライン舟下りの施設もありますが、ここは下船場です。乗船場は別な場所にありますが、ここから乗船場までは無料送迎バスが出ているそうです。
※乗船料や出航時間などは「阿賀の里(楽市じぱんぐ)」のHPをご覧ください。
「阿賀の里」は結構大きな建物で大きな敷地です。この周辺には、他にはこのような施設もないので、賑わいがあります。

この「阿賀の里」の目の前には、実は「セブンイレブン」もあるのですが、ここを通る人はどっちを選ぶんだろう。
「阿賀の里」を過ぎると、また頭上を磐越自動車道が横断していきます。のどかな山の中に突如として巨大な構造物…。日本にはこんな場所はいくつもあるんですよね…。
磐越道をくぐりしばらく行くと、釣浜橋で阿賀野川を渡ります。阿賀野市でも阿賀野川を渡りましたが、この後も何回か国道49号線は阿賀野川をわたります。大きな川なので、橋も大きい。

この橋、「釣浜橋」というくらいですから、このあたりは釣りスポットなのかな?
釣浜橋を渡り終えると、森の中を通ります。両側には杉の木が茂っていて、夜なんか徒歩で通ると、不気味そう。まぁ、夜ここを徒歩で通る人はいないと思いますが。
森を抜けると、山間の小さな集落と田んぼが見えてきます。気持ちのいい風景です。「となりのトトロ」の世界みたい。
家並みの中を通ります。この地区には、小学校があったようですが、窓ガラスに張られていた文字からすると、閉校されてしまったようです。

これは、少子化の問題というより、人々が都市でしか生活しなくなってしまったという問題だと思います。要するに過疎化です。このままでは、日本の山や農業、子供はどうなってしまうのか…。いろいろな人が考えなければならない社会問題が、この国道にも見られます。
集落を抜け、山間の田畑を抜けると、取上橋で再び阿賀野川を渡ります。
この取上橋は、渡り終わる直前で橋がカーブしています。山に沿って道路が作られているためです。写真中央の、山の木の中に白い看板が見えると思いますが、たしか観音様があることを示す看板だったと思います。
このあたりになると、人家もほとんどなく、少しだけ建物が建っているだけです。こんな区間がしばらく続きます。道路がそんなに悪くないので、走っていると気持ちがいいかもしれません。

あと、山も奥になってきますから、こういう国道沿いにはお約束のラブホテルも右側に写っています。
上の写真のような山の中の道が続いた後、建物もなくなり、五十島トンネルに入っていきます。このトンネルは1キロほどの長いトンネルです。
トンネルを抜けると、交差点があり右折すると五十島橋を渡り、JR磐越西線五十島駅方面に行けます。

左折すると、平等寺というお寺があり、そこには将軍スギなるものがあるそうです。地図にも大きく書いてあったので、有名なのかな?と、思ったらこれは陸奥鎮守府将軍だった平維茂の遺骸を葬る際植えられた杉で、新潟県下最大級の大きさで、昭和2年国の天然記念物に指定されたそうです。それは地図にも載るわけだ。
このスギには、村人が舟材に使おうとしたところ、一夜にして地中に潜ったという伝説があるそうです。すごい…。
交差点を過ぎると、道の駅「みかわ」があります。ここでは、地元の山菜やイワナ、地元の名水がいただけるそうです。先程の「将軍スギ」にちなんでここには「巨木の里」の名前もついています。
道の駅みかわを過ぎると、しばらく広々とした場所を通り抜け、岩津橋でまた阿賀野川を渡ります。この岩津橋は、このときは工事をしていました。
「岩津」っていうのは、先程の将軍スギのある地区が「岩谷」といい、この橋を渡り終えた地区が「吉津」だからでしょうね。
500m近くもある長い岩津橋をわたり終えると、山と田畑が眺められる気持ちのいい風景が広がります。
その先の交差点を右折すると、磐越自動車道三川ICに行くことができます。
交差点を過ぎ、しばらくのどかな風景の場所を通ると、白崎橋でまた阿賀野川を渡ります。
橋を渡り終えると、旧三川村の中心部に入っていきます。中心部と入っても、もともと小さなのどかな村だったので、「中心部」という感じはしませんが。

写真左の倉庫みたいな建物は、三川小・中学校の体育館です。ここは、平成17年度から三川小学校と三川中学校が同じ校舎に入り、新潟県初の小中連携校となっています。福島だと、桧枝岐村の小学校と中学校は同じ場所ですが、あれも同じようなものかな?
小・中学校が見えたら、道がカーブして三川の中心地に入ります。この交差点を右折すると、三川郵便局や阿賀町役場三川支所があります。また、オートキャンプ場もあり、そのまま進むと新発田に至るようです。
左折すると、JR磐越西線三川駅です。
すぐに三川の中心部から抜けてしまいます。国道沿いに建物が少ないだけで、三川支所のあたりには少しは住宅が密集しています。
ずいぶん前の「道の駅阿賀の里」が下船場だった阿賀野川ライン舟下りの乗船場はここです。「阿賀の里」から結構距離がありますが、随分長い距離を下るんですね。
なんかすごい山道になってきました。まぁ、福島県境のあたりはもっと山は深いですが。
さらに山道を進み、揚川発電所を過ぎると、いきなり急カーブになっています。そして、揚川トンネルに入ります。古そうなトンネルでした。
トンネル出口も急カーブになっているので、この揚川トンネルは要注意です。

これらの山道やトンネルが危険な上、この先の区間でも落石やなだれなどの危険性があるため、現在、このあたりの国道49号線は「揚川改良」として、揚川バイパスの計画・建設が進行中です。今のところ、途中の赤岩橋のみが完成していて、将来的には、この揚川トンネルなどの危険箇所も解消されるようです。
すごい山。これは冬は雪崩も起きるでしょう。写真右側は木が覆い茂っていますが、その向こう側は揚川ダムになっています。
このあたりは広くて通り易そうな感じがしますが、前後の区間があんな感じですからねぇ…。

写真右側の赤い柵のつけられたところは阿賀野川です。まだこのあたりは揚川ダムかな?
写真左側の一段高くなっている場所は、磐越西線の線路です。このあたりは電化がされていないので、ディーゼルカー(気動車)が活躍しています。また、このあたりを通る「SLばんえつ物語号」は鉄道ファンには人気があります。いくら線路が道路沿いでも、線路には侵入してはいけませんよ。
山がすごい。これはやはり道路の改良は必要ですね。景色はきれいなんですけど…。線路が藪に隠れて、道路からはわかりづらい。でもところどころ見える橋が、線路の存在を示しています。
「トンネル内幅員減少」の標識が示すように、この先に見える本尊岩トンネルは、大型車同士のすれ違いがやっとの状況で、トンネル手前には、トンネル内の安全確保のために信号機が設置されています。普段は点灯しないようですが、混雑時には点くのかも。

左側の防護柵に囲まれた部分は線路です。
トンネルを抜けると、いきなり鉄橋…。圧迫感があります。圧迫感だけではなく、実際道幅も狭いです。
よくよく考えると、これだけの山道を通るってことは、やはり国道49号線は、歴史ある国道なんだなぁと実感します。
写真右側は、きれいに整備されています。このあたりになってくると、だんだん住宅が建ち始めます。

奥のほうの山がなければ、海みたいな感じですね、阿賀野川。
途中、所々歩道が一段高く作られた場所があります。道幅が狭いから、歩行者の安全確保のためでしょうか?
しばらく行くと、なにやら立派な高架が上を通っていきますが、この高架を通ると山道に入り、ずっと進むと三川温泉方面にいけるようです。

写真右に小さく移る赤い鉄橋は、この先渡ります。
高架をくぐった先の、この交差点を右折すると先程の高架を通り、三川温泉方面にいけます。

この交差点を過ぎると、阿賀町の旧津川町の中心部に入っていきます。
「速度落とせ」とあるように、歩道もなく、住宅や商店が密集しますので、走行注意です。この先、急カーブの上、信号がありますので注意。
急カーブの途中に、交差点があります。この交差点を入ると、JR磐越西線津川駅方面です。津川駅は主要駅となっています。

周辺は住宅街になっているようです。
急カーブを曲がると、先程小さく見えた鉄橋、麒麟橋で阿賀野川を渡ります。ここの橋は、地図では「麒麟橋」と表記されていますが、標識には「きりん橋」と書かれています。どちらが正しいのやら。

ここが麒麟橋というのは、津川の町内に「麒麟山」という山があるからのようで、この麒麟山には、昔狐がいて、毎晩狐の鳴き声が聞こえ、狐火が見られたそうです。このことと、昔の嫁入りの際の提灯の明かりと狐火が平行してみえ、「狐の嫁入り行列」というものが生まれたそうです。
麒麟橋を渡り終えると、交差点になっています。

昔の国道49号線は、この交差点を左折した方向に通っていて、津川町の中心地を通っていましたが、1980年に、直進したところにある「津川トンネル」などの「津川バイパス」を建設し、国道は移りました。旧道は、現在も県道14号線として写真の通り、残っています。
トンネルを抜けると広い道路になっています。これが、津川バイパスです。そして、この交差点を右折すると、阿賀町の文化福祉会館があるそうです。
その後、ちょっと杉の木が茂った場所を過ぎると、商業施設が並び始めます。この交差点を右折すると、磐越自動車道津川ICに行けます。左折すると、国道459号線で旧津川町の中心地へ入れます。そのまま進むと、麒麟山温泉、鹿瀬、喜多方、裏磐梯まで至ります。
会津若松市の「パチンコジャンボ」はこんなところにも進出しています。結構大きな会社なんですね。

写真左側に写っている建物は、阿賀町役場です。この役場前からは、案内標識は写っていませんが、交通情報ラジオが受信できます。
小さめな店が多いですが、郊外型店舗が並んでいます。

写真左に写っている建物は、今はやっているのかよくわかりませんでしたが、回転寿司屋さんです。昔ここに入ったことがあるのですが、そのとき私の父が食べた蕎麦、新しく作ったメニューだったらしく、店員の人が評価を求めていました。そのとき父は、「良いですよ。コシもあるし味も良いし」と言っていましたが、すみません。実はこれ大嘘で、その後の車中で「あんなにまずいのは久しぶり」と酷評していました。あの後、あの蕎麦はどうなったんだろう?
その先の交差点を左折すると、ここからも津川の中心部に入れます。ここで左折すると、津川中学校・阿賀消防署・阿賀黎明高校に行けます。

この写真の右側の白い建物は、阿賀警察署です。小さいながらも、きれいな感じの外観の警察署でした。
津川警察署の先の、コメリを過ぎると店はなくなり、のどかな風景の中をバイパスは通ります。
と、思いきやいきなりパチンコ店や建材店が出現。

ここのパチンコ店、昔ながらの派手な電飾を残しています。店名は、先程の麒麟橋のように、麒麟山があるせいか、「きりん」です。
このあたりになると、距離標識にも、福島県の地名が目立つようになります。この場所から、野沢(西会津町の中心地)までは24キロ、会津若松までは56キロです。100キロはないので、まだいいですね。
交通情報ラジオはここまでです。ここで、常浪橋で常浪川をわたります。ここは阿賀野川ではなかった…。
もうすぐ福島県境に向かって山道に入るため、ガソリンスタンドが幾つか並んでいます。
途中、写真左のドライブインの廃墟がありました。昔、高速道路やコンビニがなかったころには、ここは主要道路で長距離ドライバーも通りますから、繁盛したのでしょうけど、時代の流れの中、こういった国道沿いのドライブインというのは減ってきています。
その先の交差点を左折すると、工業団地になっています。
この工業団地入り口の交差点を過ぎると、建物も減って、峠越えに向かいます。
すると、路面の舗装が突然、アスファルトからコンクリートっぽいものに変わります。山道の安全のためか?
上の写真のような風景が続いた後、トンネルが現れますが、その直前の標識にヤバそうなことが。「危険地帯 なだれ土砂崩落ここから5km区間」って、え…。とは言っても、別に大丈夫でした。でも、大雨とか大雪のときは本当に危険かも。

そういえば、このあたりの49号線って、山は険しいものの、トンネルは少ないんです。うまい具合にトンネルを造らなくてもいいルートがあったのか。
どこまで見ても、山・山・山。それか木・木・木。越後山脈を抜ける区間は、地図上で見ると短く感じますが、実際に走行すると、長い…。
こんな山奥にも、生活している人はいるんですね。
山の中にも畑があります。この畑までは誰がどこからどうやってくるんだろう。
山道。説明不要なくらい山道が続きます。実際このページで乗せている写真は本当に最低限の量のみです。実際の津川からの山道はもっと長い距離があります。

今はこんなきれいな道路が通っていますが、1971年に道路の改良工事が完了するまでは、この付近はとんでもない峠道を通っていました。その時代から考えれば、今はいいんでしょうね。
「またのおこしをおまちしております。阿賀町」
ということは、阿賀町も終わり、新潟県ももうすぐ出ます。いよいよ福島県!
う〜ん…。なかなか福島県に入りませんね…。どうしたことか…。もう山道飽きたよ〜、という感じです。
すると、山の上になにやら看板が。

「ゆっくり走ろう会津路を」って。と、いうことは!!そうです。このカーブにかかると、
福島県に突入です!というわけで、新潟県さようなら。

ここからは福島県耶麻郡西会津町です。何か、新潟県内よりも標識がきれいな気がします。そして、舗装もコンクリっぽい舗装からアスファルト舗装にもどります。この県境の、福島県側は東北地方整備局、新潟県側では北陸地方整備局と、管理者が違うからでしょうね。

福島県西会津町〜会津坂下町に続く!