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会津若松の街画像の撮影日:2005年4月2日

先ほどの交差点を右(南方向)に曲がり、南へ向かいます。さっきの交差点の方向(北)を見ると、こんな町並みが。静かだ。でも建物は多いな。
するとどこからともなく、良い匂いが。その匂いの元は、この鰻屋です。鰻の匂いがあたりにして、とてもいいです。だんだん「腹減った・・・」
この通りをどんどん進むと、中央公民館があります。将来、ここに新たな施設を建設するため、取り壊されてしまうそうです。
そして、その隣にはNTTがあります。大きな鉄塔が目立っています。
さらに進むと、「福島協和信用組合」があります(写真右端)。この福島協和信用組合(会津坂下町)と会津商工信用組合は合併し、今は会津商工信用組合になっています。

この周辺は飲食店や飲み屋が立ち並んでいます。
この路地を入ると、先ほど書いた「レオクラブガーデンスクエア」のアーケードの裏通り、つまり「栄楽座」に行き着きます。ここにも飲食店やパチンコ店が。
そして、この通りを進むと、T字路に差し掛かり、そのT字路には会津若松市役所があります。歴史的な建物で、この先も建て替えや取り壊しの予定はないようです。でも、市役所としては災害時にはまずいでしょうね…。耐震強度とか。

この市役所には、大きすぎて部屋から出ない金庫があります。その金庫は元々は出入りさせることが出来たのですが、最近改装されてドアが小さくなり、出られなくなったそうです。

この市役所の建物、よく会津若松が舞台のサスペンスドラマのロケに使われます。しかも警察署として。いつもそのたびに思うのは、「会津若松ってそんなに大きな町じゃないのに、なんで「会津若松東警察署」なんだろう…?」と。まぁ、実在の警察署の名前を使うのはまずかったからだと思いますが。大昔は、実際の警察署もこの近くにありました。
この市役所前を右へ曲がり、神明通り南入り口に行きます。小さな商店などが、ごちゃごちゃと建ち並ぶ通りです。
神明通り南交差点。田島方面(南向き)です。このあたりは、最近電柱地中化と道路拡張工事で歩道・車道とも広くなりました。また、建物も道路拡張の影響で新しいものが多いです。

昔は、すごく狭い通りで、建物も道路のすぐそばまでごちゃごちゃと密集していて、とても国道とは思えない感じの通りでした。その頃のイメージがすっかりふっとんでしまうくらい綺麗になりました。
ちょっと南に進んでから神明通り方面を見てみる。神明通りだけですね、大きなビルが建っているのは。神明通りを過ぎると、ビルは少なくなります。
しかしちょっと進むと、まだ工事が完了していないので、電柱は残っていますし、車道にはポールが置いてあります。そして、路面はつぎはぎだらけ。もう何年も工事が続いています。いつまで続くんでしょうか・・・?
撮影当時はこんな感じでしたが、2007年現在は工事も完了し、綺麗で通りやすい道になりました。
いつの間にか、この通りに吉野家が出来たんでしょう・・・?今までは、国道49号線の中央病院の前にしかなかったのに・・・。
そして、拡張工事の影響で休業になっている店も・・・。今私が立っている歩道は元はエネオスのガソリンスタンドでした。しかし、道路拡張でガソリンスタンドの部分が道路になることになり、休業となりました。

早く工事が終わって、営業が再開されるといいですね。
…なんて、書きましたけど、2006年の秋ごろにこのガソリンスタンドをやっていた会社は倒産してしまったそうです。なんだかなぁ…。
そのまま進むと、さらにつぎはぎだらけの路面になります。2007年現在は、ここも綺麗になっています。
すると、突然きれいに整備された道路になります。あの区間だけがいつまでも工事が済んでいなかったようです。

まぁ、予算とかの関係でなかなか進まなかったんでしょうね。無事に終わったからよかった。
そして、学鳳高校前の交差点に着きます。今日はここを左(東方面)へ曲がり、鶴ヶ城へ向かいます。

ちなみに、この交差点を右(西)へ曲がると、会津の人々が多く行く、「竹田綜合病院」があります。私ももちろん行っています。(かかりつけの病院としてではないですが。)
左(東)へ曲がって進むと、官公庁の建物が多く立ち並びます。
会津学鳳高校です。ここは元々は「若松女子高校」という女子高でしたが、最近共学になり、校名が変更になりました。

この学鳳高校は、千石バイパスの富士通工場跡地に校舎を新築し、会津唯一の中学・高校一貫校として、移転する予定です。
その向かい側、会津若松の合同庁舎です。休日なので、誰もいません。
こちらも合同庁舎です。こちらには、東北農政局などが入っています。
どんどん進むと、観光地だからお土産店が・・・と、言いたいところですが、実のところ殆ど何もありません。普通の町並みです。

しかし、妙だ。観光バスや観光客がひとりもいない・・・。
しばらく行くと、鶴ヶ城北側入り口の交差点です、こちらからも入れますが、こっちから入ると駐車場なので、今回は東側の入り口から入ります。

ちなみに、この交差点には簡易裁判所があります。このときは、やばそうな雰囲気だったので写真は載せません。
少しずつ観光地らしい風景になって行きます。(どんな感じなんだか・・・)歩道が狭いので注意しましょう。
鶴ヶ城会館の駐車場前です。この木の向こうに鶴ヶ城はあります。
その先、巨大な?ジョモのガソリンスタンドのある交差点を曲がると、福島県立博物館があります。巨大な建物です。ここで2004年、「アートオブスターウォーズ展」が開催されました。
鶴ヶ城に入ります。これはお堀です。所々に柵などがないところもありますので、落ちないように気をつけましょう。一部では路面のアスファルトが崩落していました…。
この橋を渡ると鶴ヶ城公園です。もうすでに石垣の向こうに天守閣が見えますね。
鶴ヶ城です。全国的には、会津若松城として有名ですが。

この城は、1384年に蘆名直盛が黒川城の名称で建造しました。その後、蘆名氏が1589年に伊達政宗によって滅ぼされると、伊達政宗が入城しましたが、1590年に伊達政宗は豊臣秀吉に臣従し、会津を召し上げられます。
その代わりに会津に入ったのは蒲生氏郷でした。1592年に近世城郭に改造し、城下町を整備。1593年に7層の天主が完成して、鶴ヶ城に改称されました。1598年に蒲生氏が宇都宮に移され、上杉景勝が入城。1600年に上杉氏は米沢に移され、翌年また蒲生氏が入りました。1627年に蒲生氏が松山に移され、加藤嘉明が入封。1611年の地震で傷んだ城を改修し、現在みられる5層の天主になりました。その後は松平氏の居城となり、幕末の戊辰戦争時は篭城戦に耐えた末取り壊されました。現在の天主は1965年に再建されたもので、内部は郷土博物館になっています。

この鶴ヶ城は、青葉城などと共に「荒城の月」のモデルとなりました。歌碑も設置されています。

ちなみに、この天守閣が再建される前は、ここで「会津競輪」が開かれていました。
鶴ヶ城公園全景です。桜の時期になると、たくさんの人が来ます。冬には絵ろうそく祭りも開かれます。しかしこの日は殆ど人がいませんでした。

まだ長くなりそうです。続きはまた。