国道118号〜中央通り画像の撮影日:2007年6月16日

会津若松市には、南北に縦断する幹線道路はいくつかありますが、今回はその中でも、市街地を抜ける国道118号線から、以前も紹介した神明通り・中央通り、さらに駅前を抜けて国道49号線への接続までご紹介します。

今回のスタート地点は、通常「高田橋通り」と呼ばれる、国道401号線との交差点。ここから北上します。

この付近は、道路の拡張工事を行ったおかげで、道幅が広く、電線も地中化されていて、広々しています。
しかし、まだ拡張工事は完全ではなく、上の写真のエネオスのGSの前辺りから、再び昔の狭い道になります。これでも、この地方の主要国道なんですけどね…。
この区間だけ、もう何年も工事に取り掛かる気配がなかったので、ここは拡張しないのかと思いきや、道路沿いには空き地がありますし、最近になって、建物の取り壊しが行われてきているので、やはり拡張するようです。

川(名前が分からない…)を渡ります。この橋も架け替えるんだろうな。
電柱がまだ残っているし、前後の区間に比べたら歩道も車道も狭い…。付近は住宅街ですし、学校もあるので、危ないだろう…。
この交差点を入ると、国土交通省阿賀川河川事務所や県立会津高等学校があります。会津高校というと、会津地方ではグレードの高い高校ですが、表通りからは目立たない住宅街の中にあったりします。

この交差点周辺には、かつてはいろいろな店がありました。写真左の建物は、かつてはセブンイレブンでしたが、その後向かい側(写真右の駐車場の部分)に移り、今はまた別の場所に移ったようです。そのほか、宅配ピザのストロベリーコーンズもこの辺りにありましたが、なくなっています。道路拡張や不景気の影響でしょうね。
古くからの商店や住宅が並ぶこの通りも、道路拡張に向けて、どんどん風景が変わっていくことでしょう。
昔ながらの街並みが消えるのは寂しいことではありますが、今の社会を考えると、人や車が安全に道路を通行するためには、仕方のないことです。
この古くからの町並みが残る区間は、そう長くは続きません。あっという間に、拡張済みの道へと変貌します。ここから先は、道路も建物も新しいものが目立ちます。
湯川を渡ります。それほど大きな川ではないですが、道幅が広い分、橋も大きく感じます。
道路の西側に道幅を広げたのか、西側のほうが建物が新しい。
その先は城南通りとの交差点です。交差点を右折すると鶴ヶ城の南側入り口を通って、小田橋通りに繋がります。左折すると、ユニクロなど郊外店が多少並び、その先には会津鉄道・JR只見線の西若松駅があります。さらに進めば、市郊外へ繋がります。

今回は、当然ながら交差点を直進します。この先しばらくは、以前「神明通り」のページでも紹介した区間ですが、そのページの写真を撮影した2007年1月から5ヶ月経過した6月の姿をご覧いただきます。
交差点を過ぎた辺り。ちょうど前回紹介した際も、この場所の写真からご紹介しました。

写真左には、地元の楽器店が写っていますが、以前はスーパーマーケットでした。後にヨークベニマルに譲渡されましたが、小規模店舗だったため、再び譲渡されブイチェーンになり、そして閉店。現在は楽器店になっています。若松市内には、現在からは信じられないような小規模なスーパーマーケットが実は昔ヨークベニマルだったという場所がいくつかあります。
中央に見える距離案内標識によると、この場所から新潟まで117kmだそうです。
またやってきました、鶴ヶ城の御濠が写真右に見えます。前回は冬だったので向こうまで見えましたが、今回は6月。木の葉が茂っていて向こうまでは見えません。緑いっぱいで良いですね。

この御濠のところにある「城南スクール」の屋上には、NHK福島放送局の天カメが付いていて、夕方のニュースなどでこの118号線の様子などを写していることがあります(だいたいは鶴ヶ城を写してますが)。
前回は特に触れませんでしたが、この信号のない横断歩道を入ると、県立若松商業高校や市立謹教小学校があります。
前回紹介した「日新館スイミングスクール」前あたりから。

左側に、すっかり葉が茂っていて建物が見えませんが県立会津学鳳高校・中学校が見えます。この写真を撮影した頃は、まだここに高校・中学がありましたが、2007年9月から千石通り沿いの富士通工場跡地に建設された新校舎に移転しました。
この残された旧校舎は、福島県から会津若松市に移され、建て替え計画が進んでいる会津若松市中央公民館の仮施設として利用されることになりました。しかし、中央公民館の建て替えが完了した後は、この場所どうするんだろう。一等地だろうに、無駄な使い方はしてほしくないな。
前回も紹介した、出口専用の交差点。

この交差点の場所には、武道具の店があります。お城の前にこういう店って、ぴったりですね。
新しい建物が建ち並ぶ。

ちょうど写真右にバス停が写っていますね。高校・中学があった頃は、生徒が多く乗り降りしていたと思います。
中央公民館の仮施設に使うといっても、体育館なんて使い道はないだろうな。

有名な観光地ですから、当然ですが標識にも大きく「鶴ヶ城 →」と書かれています。
その先の交差点を右折すると、会津若松合同庁舎や福島地方裁判所会津若松支部などの官公庁、図書館や県立県立博物館などの文化施設、鶴ヶ城入り口、千石通り、東山温泉などへ行くことができます。
左折すると、竹田綜合病院があり、さらに市郊外や会津美里町方面へ行けます。

写真左の建物、1階には居酒屋が目立っていますが、本当はお米屋さんです。
さあ、ここからはまた、会津若松という土地を意識したようなつくりの新しい建物を眺めながら、神明通りに進んでいきましょう。

観光バス今日もいますね。当然ですが。
「会津若松という土地を意識したような建物」もありますけど、それと同じくらい他の町と何らかわりはないような新しい建物もありますけど。
あまり関係ないですが、LEDの信号機って、やっぱり見やすいですね。

前回「街灯にメロンやブドウの看板をつけた果物屋さん」を書きましたが、それはこの信号のすぐ脇(写真左)です。何度見ても、良いです。
この日は、6月にしては結構暑い日でした。日陰が殆どなくて、広い歩道はつらいだろうな。そのうち街路樹が成長して木陰を作るかもしれませんが。

そして、写真だと分かりにくいですが、このときも神明通り付近で車の流れが良くなかった。
自転車をこぐ高校生(写真左)。こんな感じな道路です。
拡張工事のため、しばらく休業といったものの、結局復活できなかったGS(写真右)。なんだかなぁ…。Yahooの地図情報には、この場所にトヨタレンタリースがあることになっていますが、それはこの潰れてしまったGSの会社が経営していたもので、当然現在はありません。

写真左の吉野家、がんばってますね。こういう便利な店はつぶれないでほしい。
この交差点を左に入ると、県立葵高等学校があります。元は1893年にできた私立会津女学校で、1905年に若松市立会津女子技芸学校、1909年福島県立会津女学校になり、1948年に福島県立会津女子高等学校になりました。そして、2002年から共学化し、現在の校名になりました。
ここも、前述の会津学鳳高校同様に、長年女子高として親しまれてきたので、その頃のイメージを持った人がまだ多くいます。
もうすぐ神明通りです。

前回、国内で初めて記念品の「楯」を製品化した会社として紹介した関美工堂は、写真左のシルバーの建物です。また、前回写真右に蔵作りの建物があると書きましたが、これは旅館だったようです。
この写真のほうがはっきりと写っています、関美工堂。

昔、道路拡張をする以前に、写真右の辺りに「東京堂模型店」という模型店がありました。私の記憶に残っている中ではもう既に店じまいされた後でしたが、妙に名前にひきつけられた店でした。会津なのに何故に「東京堂」だったのか。
さて、今回も神明通りに入っていきます。前回は書きませんでしたが、この神明通り南交差点を右折すると会津若松市役所方面へ、左折するとレトロな街並みで観光客が急増している野口英世青春通りや七日町方面へ行くことができます。

しかし、相変わらず神明通りは、高い建物とアーケードの存在のせいか、今までと道幅は同じはずなのに狭く感じる…。
昔は、写真左の場所にニチイダイゼン(旧:大善百貨店)もあったから、今の感覚だとさらに狭く感じたと思う。

ここにあったニチイダイゼンは、駅前に移転した際の福島民報の記事によると、「ニチイとしては営業せず、1・2階に募集テナントに入居してもらって専門店ビルとして再生する」としていたようです。結局、その後取り壊されてしまいましたが。
レオクラブガーデンスクエア(旧:長崎屋会津若松店)前。この辺りはいつも人がいるな。高校生とか。歩道に自転車も多く停められています。

レオクラブガーデンスクエアも、オープンから今まで多少テナントの入れ替えがあって、地下1階にあったインターネットカフェが無くなったほか、100円ショップのダイソーが入居したようです。

また、写真左の白いビルの屋上にあったアイフルの広告塔がいつの間にか撤去されています。消費者金融に対する風当たりが強くなってきたからか。
今日も相変わらず、客待ちのタクシーと路上駐車。
会津まつりで使うらしいこのアーチ。以前はこのアーチに取り付けられていた信号機が別につけられるようになったので、いつかは撤去されてしまうかもしれません。
リオンドール若松店前。この付近も、いつも買い物客が多くいます。やはり、こういう大きな商業施設があれば、人は自然と足が向くんでしょうね。
中合会津店前。中合ももう随分古い建物です。「老朽化で建て替えの費用が出せないので閉店」なんてことにはなってほしくない。
東邦銀行会津支店とみずほ銀行会津若松支店前。金融機関は休日は休みなので、この付近に人通りがあるのを見たことがない。
そして、神明通りを抜けます。まぁ、神明通りは以前も紹介したので、そちらのページでじっくりとお楽しみいただければ…。

ここからは前回は紹介しなかった中央通りです。この中央通りは、神明通りより後の1967年の大町区画整理事業により建設が開始され、1978年に完成しました。それ以前は、この場所は四つ角ではなくT字路で、写真の方向には雑然とした街並みが広がっていました。それが、区画整理の完了によって、現在のような生前とした街並みになりました。

写真左には、切れてしまっていますがマクドナルドがあります。昔はロッテリアでしたが、なぜかマックへ。ロッテリアみたいな変わった店またできないものか。
写真右の木に隠れた建物は、会津若松郵便局です。
上の写真のプロミスの看板のあるビルには、旅行代理店が入っています。プロミスの看板があるビルの隣は、新潟市に本店のある地方銀行・第四銀行の会津支店です。ここに支店があるのは、新潟県に隣接している影響でしょうね。

以前は、この付近はコーポレートカラーが青だった時代のプロミス、アコム、ほのぼのレイク、ディックと、消費者金融会社のネオンサインが集結していました。現在、ネオンサインとして残っているのは、レイクだけです。以前、FCTの日曜夜9時前の天気予報のスポンサーがレイクだった時代、この会津若松のレイクのネオンが天気予報のバック映像に使われていました。レイクのネオンが設置されているビルにFCT会津支社がある影響でしょうか。どっちにしろ、ネオンサインは私は好きなので、その天気予報も楽しみでした。
写真右に切れていますが、時計台があります(上の写真右に写っている三角屋根の建物です)。以前は本当に時計が設置されていましたが、なぜか妙な顔の絵に取り替えられてしまいました。時計の維持管理が面倒だったのか。そして、時計台があるなんて、何の建物かと思いきや、服屋さんでした。ただ、その服屋さんも最近神明通りに移転して、現在は空き店舗のようです。

写真の交差点は、以前FCTの「ゴジてれシャトル」が毎日県内の各支社からのリポートを入れていた時代に、「現在の会津若松市の様子」として支社の窓から写していました。その当時は、天カメが会津若松市背あぶり山ではなく、桧原湖畔ホテルに設置されていたからでしょう。

交差点には、福島県内にカメラ店のチェーンを展開していた「カメラの田中」の店舗がありましたが、つぶれてしまい、現在もフジカラーの看板だけが寂しく残されています。
写真左の蔵作りのような建物は、以前は「武者煎餅」などを製造していた菓子店「大津加」の店舗でしたが、大津加が潰れた後は料理店になったようです。なかなか洒落た建物で良いですね。
神明通りとは変わって、市の中心市街地ですが高いビルが少ない分、広々とした感じに見えます。

写真左側に街路樹で少し隠れていますが、ドコモショップがあります。そこは以前は、札幌市に本店のあった電器店「そうご電器」の店舗でした。現在は、そうご電器だった頃をしのばせるものはひとつもないです。
写真では良く映っていませんが、写真左側には、福島銀行会津支店があります。先ほどの東邦銀行会津支店と比べると、小さい建物のような気もしますが。

写真右側には、小さいながらもいろんな店が並んでいます。
福島銀行前のこの交差点を左折すると、市の中心部の野口英世青春通りや大町通り方面へ、右折すると千石通り方面へ行くことができます。
その先、写真右には埼玉県越谷市に本社のあるスーパーマーケット「タジマ」の酒屋さん「ぷろ〜すと」がありました。当初はここもタジマのスーパーだったらしく、屋上駐車場もありました。しかし、後に酒屋に転換し、屋上駐車場を廃止(屋上への入り口を完全に壊していました)。そして遂に最近閉店しました。末期の頃は、営業しているんだかしていないんだか分からないくらい暗い感じの店になっていましたが。今は、入り口にベニヤ板がはめ込まれて、何ともいえない状況になっています。
ここも市街地の一等地なんだろうから、次が早くできると良いんですけど。
写真右に見える、気が多く茂っている場所は、大町中央公園です。たまに前を通ると、子供たちが遊んでます。

写真右には、居酒屋がありますが、ここは元はおもちゃのハローマックでした。まぁ、10年位前までならいざ知らず、今は郊外型のおもちゃ店が市街地にあってもお客は入らなかったでしょうね…。
その向い側には、写真では切れていますが、眼鏡の愛眼堂本店があります。ここは、どうやら昔はレストランだったようです(少なくとも10年以上前に廃業したらしく、私が覚えている範囲ではもう既に空き店舗でした)。

この愛眼堂という眼鏡店はよくわかりません。ここにある愛眼堂は会津地方に4店舗を持つ会社のようですが、山梨県にも同じロゴマークの眼鏡の愛眼堂が存在します。どこかの眼鏡メーカーのFC店なのかな?
駅が近付いたせいか、少しビルが建ってきます。また、近年はこの周辺にマンションが相次いで建設されるようになりました。
生命保険会社のビルばかりですが…。
この辺りのビルの屋上には以前は、「●●生命」とかそんな感じに広告塔が設置されていましたが、殆ど撤去されています。維持費が大変なのか、景観問題か。
もうすぐ、会津若松駅前です。
駅前ということで、商業施設も建ち並びます。

写真右は、リオンドール駅前店です。小規模店舗ですが、以前はTSUTAYAもありました。今は純粋に食品スーパーとなっています。

写真左は、会津サティです。立体駐車場も完備した大型店です。元々は、先ほどの神明通りにあったニチイダイゼンが移転するかたちで「ニチイ会津若松ショッピングデパート」として1982年7月1日に開店しました。開店時の福島民報の記事によると、当初計画よりも店舗は縮小されていたようです。開店時は売り場は3階まででしたが、後に4階まで拡大されています。
会津サティとなった今も、駅前という立地のため、買い物客が途絶えることはありません。しかし、以前に比べたら郊外にアピタができた影響もあるのか、客数は減っている気はします。
サティの前には、あいづタクシーのタクシー乗り場もあります。駅前ですからね。
サティ前の交差点を左折すると、そこはすぐ会津若松駅です。右折すると、白虎通りとなっていて千石通りや白虎隊の悲劇で有名な飯盛山に行くことができます。

写真右の白いビルには、福島テレビの支社が入っています。その影響で、会津地方が大雨や大雪などに見舞われた際には、サティ前のこの交差点の映像がFTVでは使われます。
白虎通りとの交差点を過ぎると、中心市街地からは外れて、郊外に向かっていきます。

この周辺も、区画整理が行われて再開発が進んでいます。以前は何もなかった場所に、突如コンビニができたり(写真右)。

写真左側には、高速バス乗り場があります。ここからだと裏側になりますが。
以前は、この道路はこの交差点までで行き止まりになっていて、これより北に行くためには、この交差点を左折したところにある1本西側の道路を通らなければなりませんでした。最近、この直進する道が完成したため、スムーズに国道49号方面へ抜けられるようになりました。
この周辺でも、マンションやビジネスホテルの建設が進んでいます。
この周辺も、この道路が開通するまでは、雑然とした住宅街でした。道路を作ったため、新しい建物が多い。
写真右に大きな工場がありますが、これは三菱グループの銅の加工を行う会社・三菱伸銅若松製作所です。いつからあるのかよくわかりませんが、一部施設に、1986年まで使われた旧社名の「玉川機械金属」の文字の跡が見えるので、随分前からあるようです。

また、写真には写っていませんがこの三菱伸銅の隣には、若松ガスの施設もあり、ちょっとした工業地区になっています。
ここにも、会津という地を意識したような、和風の建物がいくつかあります。
ここで、前述した「1本西側の道路」と合流します。以前は、西側の道路が写真左側の空き地をまっすぐ通っていたのですが、こちら側に道路が移ったのに伴って、このような形になりました。
写真左は、ホームセンターのダイユーエイト会津若松店があります。元々は、会津若松駅の施設でしたが、それがなくなったため、ここにダイユーエイトが進出してきました。普通は郊外にあるようなホームセンターが、駅前にあるというのもちょっと妙ではありますが…。
また、カー用品店のスーパーオートバックス会津若松店もあります。以前は、オートバックス会津若松店として国道49号線沿いにありましたが、ここに移転してきました。

駅からそんなに離れていないのに、こういったものの存在から、もうすっかり郊外という感じがします。

すぐ脇には、磐越西線の線路が通っていて、SLが通るときはよく見えるでしょう。
スーパーオートバックス前の交差点を入ると、区画整理によってきれいに整備された住宅街に入っていきます。さらに進めば、千石通りの会津学鳳高校・中学校付近の交差点へ、さらにそこを進めば飯盛山・東山温泉方面まで抜けることができます。
国道49号線まで、もうまもなくです。
写真右の白い壁は、かつてここにあった観光施設・山田漆器会館の跡地です。

元は大正時代に創業した漆器店で、昭和51年にここに山田漆器会館という漆器に関する観光施設を建設しました。漆器製造の見学コースやお土産販売、会津の歴史について紹介する施設などがありました。しかし、写真右に写る大型映像シアター・天体望遠鏡施設「山田プラザ」を1996年に建設。不景気の中でのオープンだったため、結局山田プラザは失敗。その後は赤字経営が続き、一部施設の閉鎖などを行ったものの、2001年2月に自己破産。その後しばらく、ここに施設は放置されたまま残っていました。

その後、JAあいづがこの場所を本店・直売所として利用することとなり、山田漆器会館は解体され、建設が進んでいます。
また、写真に写っている山田プラザも2007年9月現在、解体工事が行われています。山田プラザに関しては、まだそんなに古くない施設だったので、どこかが再利用すればよかったようにも思えますが…。
山田漆器会館跡地を過ぎ、そこには福島マツダが。かつては、写真右のマツダは「アンフィニ福島」で、写真左のマツダが「福島マツダ」でしたが、アンフィニが統合され「マツダアンフィニ」になり、現在は、旧アンフィニ福島の店舗を福島マツダに、旧福島マツダを「福島マツダユーカーランド」という中古車店としています。
マツダ前の交差点を入ると、ここからも先ほどの交差点と殆ど同じ区画整理された住宅街の中に入っていきます。ただ、繋がる場所が少し異なっていて、千石通りのヨークベニマル一箕店付近に繋がります。

写真右には、仏具店が写っていますが、ここはかつてパチンコ店でした。パチンコ店と仏具店って全然違う店なのにね…。
ここはいつも、この先の交差点を国道49号線新潟方面に左折する車で長い列ができています。
写真左には、福島小松リフトとコマツ福島の建設機械リース会社「ビッグレンタル」があります。ここのビッグレンタルはかつては「福島リース」という会社でしたが、福島リースとビックレンタルが経営統合したため、現在の形になりました。

ビッグレンタルも福島県のみならず、周辺の県の建設機械リース会社から次々と事業を譲り受けているようで、なかなか大きな会社になりつつあります。
写真左には、店舗自体は写っていませんが、「SUNホームセンター」というホームセンターがあります。先ほどのダイユーエイトのような大型店ではなく、地元の小さなホームセンターですが、今でもここでがんばっています。
そして、その先北柳原交差点で、国道49号線と交差します。この先は、直進しても国道ではなく、会津大学方面に抜けます。

国道118号はここで終点となります。尚、触れていませんでしたが、会津若松市内の今まで通ってきた国道118号は、全て国道121号線と重複しています。国道121号線は、国道49号を西へ進んだところにある観音前交差点からまた北に方向を変えます。

会津若松市街地を様々な街並みを見せながら縦断する道をご紹介しました。

※尚、文中の会津サティ・ニチイダイゼンに関する新聞記事は、イケノダイ・ガウスさんから提供していただきました。ありがとうございました。